2023年3月期有価証券報告書から開示が義務化される人的資本。各社のユニークな開示指標を紹介しています。人的資本可視化指針では開示にあたっては「比較可能性」と「独自性」のバランスが大事と記載されています(P3)。この記事は「独自性」に焦点をあてています。

職場の推奨率

マーケティングの分野にはネットプロモータースコア(正味推奨率)という指標がある。自社製品のユーザーに「友達にこの製品をどの程度熱心に薦めますか」と10段階で尋ね、前向きな回答から否定的な回答の比率を差し引いて、ブランドへの忠誠や愛着を計測する手法だ。石川県を地盤とする地銀グループの北国フィナンシャルホールディングス(FHD)はこれを職場に応用した。「あなたの職場で働くことを、親しい友人や知人にどの程度お薦めしますか」と従業員に質問し、「とてもお薦め」という前向きの答えから、「絶対に薦めたくない」といったネガティブな答えを引き算した値がマイナス52%だった。一見低めの数字だが、同社は22年の統合報告書でこれをあえて公表。杖村修司社長は「当社は半沢直樹型の旧態依然の銀行の風土から脱却し、コンサルティングなどでも稼ぐ令和型モデルへの転換を進めている」といい、人事においても各社員に自律的なキャリア形成を促す新制度を導入したばかりだ。

世代別エンゲージメント

仕事への熱意を示すエンゲージメント調査は多くの企業が実施しているが、結果を公表する企業は一握りで、世代別の結果を報告する例はさらにまれ。1000社近い企業の統合報告書などに目を通した「人的資本開示ウオッチャー」の田中弦・ユニポス社長が調べた範囲では、ダスキンと京セラ、出光興産の3社しかなかったという。そのダスキンの結果をみると、「仕事にやりがいを感じる」「ダスキンで働けてよかったと思う」の2つの質問に対して、25~29歳の層は肯定的な回答が他の世代に比べて目立って低かった。大学を出て入社して一通り仕事を覚え、現場のリーダーとして一定の管理責任も負う。だが、それに見合った権限や待遇が付与されない。そんな若い世代の「声なき声」を感知した会社は「年功序列にとらわれず、若手を大胆に抜てきできる制度を導入した」(大久保慶子・人事企画教育室長)という。世代による認識ギャップを放置すれば、組織は変調をきたす。正直なデータの開示は、素早く手を打つきっかけにもなる。

出生率

伊藤忠商事は22年4月に働き方改革の成果として、同社の女性社員の合計特殊出生率の推移を公表した。結果は驚くべきもので、05年度は0.60、10年度は0.94と極めて低かったが、21年度は1.97と日本の平均を大きく上回る水準に跳ね上がった。急な海外出張や深夜に及ぶ残業。ハードワークが当たり前の総合商社の社員にとって、仕事を続けながら子供を産み育てるのは至難の業だ。だが朝型勤務の導入など柔軟な働き方を促す過去10年の積み重ねが、仕事と育児の両立に道を開いた。このデータの開示について、ネットなどでは「産まない女性、産めない女性への圧力になる」という批判も出た。対して同社の的場佳子人事・総務部長は「出生率は目標ではなくあくまで結果指標。当社の職場の実態がどう変わったかを伝えるリアルな数字として公表した」という。

新卒離職率

厚生労働省によると、新規大卒就職者の31%が3年以内に離職するという。労働市場の流動性の高まりは歓迎したいが、採用に相当のエネルギーやコストを割いている企業にとって、「3年3割」の大量退社は大きな痛手だ。なぜ若者が逃げるのか。就活サイトを運営するワンキャリアの北野唯我取締役は「最大の要因はリアリティーショックだ」と指摘する。会社説明会での「自由闊達な社風」という美辞麗句を信じて入社したのはいいが、現実の職場は上意下達が支配し、若手の発言権はゼロ。昭和ならそれでも「石の上にも三年」と我慢したが、今は選択肢が多くあり、早期退社が続出する。逆にいえば若年離職率の低い企業は、建前と実態の隔たりの小さい、嘘のない会社といえる。自信のある企業は早期離職率を積極的に開示してはどうか。どの会社の人事部の言葉が信用に足るのか、迷う学生にとっても、意味ある指針になろう。