知人から勧められて読みました。想定以上に中味が濃く響きました。安倍さんのインタビュー内容には異論ある方もいらっしゃるでしょうが、政治家の回顧録とはそういうものなのかもしれません。第一次内閣での挫折を糧に、第二次内閣では戦後レジームの脱却という理念追及だけでなく、国民生活に実益あるアベノミクスも推進しました。これらを推進するために内閣人事局を握り人事を差配する等、徹底したリアリズムのすごみを感じます。

葬儀委員長の岸田文雄首相は、総理大臣とは、溶けた鉄を鋳型に流し込めばできる「鋳造品」ではなく、たたかれて、たたかれて、やつと形をなす「鍛造品」であるという安倍さんの言葉を引いて、「あなたは自らをいっそう強い鍛造品として鍛えた」と忍びました。

経済政策は弱かったですね。あの当時は景気が良く、税収もあったからですが、本当は、もう少し経済に照準を当てておけば良かった。そうすれば、様々な面で成果を上げている、というふうに感じてもらえたのでしょう。今思えば、戦後レジームの脱却に力が入りすぎていた面がありました。

第一次内閣は非常に理念的な政策が多かった。地域を回ることで、有権者の関心は、やっぱり日々の生活なんだなと気づかされた。だから、そこにも重点を置くべきだと感じました。このとき支援者の声にじっくり耳を傾けたからこそ、第二次内閣では経済政策を重視するようになったのです。

私は第一次内閣で首相に就任するまでに、官房副長官を3年以上、さらに官房長官を1年やり、首相官邸の役割や」中央省庁との関係、政策決定の仕組みなどをある程度わかっているつもりでした。官邸を十分に経験しているから、首相になってもやっていけると思ったのですが、そうした考え方は、うぬぼれでした。総理大臣となって見る景色は、官房長官や副長官として見るものとは、全く別だったのです。

かつ、肩に力が入り過ぎていた側面もありました。戦後生まれの初の首相、52歳での首相就任は戦後最年少だったので、期待に応えなければ、という思いが強すぎましたね。第一次内閣は、06年9月26年に高い支持率で華々しくスタートしたにもかかわらず、厳しい批判を浴び続け、わずか1年で退陣しました。この失敗は非常に大きかったと思います。あの1年間は、普通の政治家人生の15年分くらいに当たるんじゃないかな。